時間に囚われたくないよ

 夜分に失礼致します、藤岡です。ちょちょいと仕組みをいじれは日付もまたげる昨今です。(ごめんなさいてへぺろ

 三次元に生きる者として、空間と時間は永遠の課題ですよね。ドラえもんのどこでもドアや、ドラゴンボール精神と時の部屋はまさしく夢、御伽噺、ファンタジーですが、科学者たちはそんなワクワクを叶えるべく日々奮闘していることでしょう。

 自分にとって1番の敵は時間だということに気がついたんですよね。言い訳だけど。世の中なんでも時間ナシでは回らないじゃないですか。何時から何時まで働く、何時に待ち合わせ、何時間でいくら、何時以降はなんだかんだと、時間に縛られて生きています。夫がまだ彼氏でもなかったときに、初めて渋谷の岡本太郎の絵の下で待ち合わせたですが、「13時11分に着きます」と1分刻みで連絡が来たときは世界がひっくり返りました。自分は15分単位でしか生きていなかった。

 いや、高校まではもう少しきちんとしてました。何故かというと田舎のバスはその1分を逃すと次が1時間後になるからです。朝は6時47分のバスに乗らないと始業に間に合わないという、死活問題だったので体に刻み込まれましたが。上京して、数分毎に電車が来る環境におかれ、時刻表を見ることもなくなると、徐々に徐々に、時間の概念が揺らいでいき、今に至ります。

 世の中の標準で仕事をしようと思うと、きっかり時間が決められていて、例えば、◯時からミーティング、とか言われると何時間も前から胃のあたりがザワザワして、何回もスケジュール確認したりして、あきらかに効率ダウンです。なんでしょうね、ものすごくプレッシャー。耐えるしかないのですが。向いてないんだな。出来ることならば、自分の時間軸で生きていきたい、と思ったのは昨日のことです。

 話は変わって、学生終わりの頃に東京アートフェアのお手伝いを何度かしたことがあったのですが、そこでお世話になった、自分の父親と同じくらいの歳のTさんがたまたま近所に住んでいたので一緒に電車で帰っていたときに「大人になると時間の過ぎるスピードが速いよね。」という話になりました。物理的には変わらない時間が、なぜ年齢によって感じ方が変わるのか、という疑問です。「これまで積み重ねた年月と今この瞬間を相対的に見ているからじゃないですか?」と答えた自分は本当につまらん人間だなと思うんですが、Tさんが「いや、」と言い出したところで駅に着いちゃったんですよね。最後良いところが尻すぼみになってしまって、本当に勿体無いことをしたナ。という話を思い出しました。ライブを始めた頃は30分のステージがすごく長く感じていたのですが、うたたねの解散ライブは1時間半が文字通り「あっ」と言う間に終わった感覚でした。時間とは不思議なものです。音楽家はたかだか4〜5分に長い年月を詰め込むのです。まとまらなくなったところで、お開きです。

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↑最近発掘された名作ゲーム。時間ができたらやろうっと。